新コーナー 今週の平家ニュース(4/3~4/9)
定期的にネタを提供できるコンテンツが必要だよね~と感じたので、とりあえず立ち上げてみた新コーナー「今週の平家ニュース」
このコーナーは、今週一週間におこった平家関連の出来事…はほとんどないと思うので、ネット上で「平家」でニュースを検索して出てきたネタを野次馬根性で取り扱うことにします。
これによって、サブリミナル的に平家というワードを人々に刷り込み、なんやかんやで平宗盛大河ドラマ化を実現します。
さて、今週(4/3~4/9)の平家関連ニュース、取り上げるのはこちら!
広島県福山市の「平家谷つばき園」でツバキの花が見ごろ!
厳島神社のある広島県の、福山市というところで、色とりどりのツバキの花たちが見ごろを迎えているようです。
なんと、ツバキ園のある平家谷、という地名の由来は、平通盛(宗盛の従兄弟)が隠れ住んだという伝説が由来とか。結構具体的ですな。
各地に伝わる平家伝説の中でも、広島という平家に同情的な地域性もあり、なんとなく信憑性があるような気がします。
このつばき園、見ごろは10日ごろまでだとか。え、もうすぐじゃん。
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続いてのニュースはこちら
ナンバーワンになるには、まず弱者を攻撃しろ平家打倒を成し遂げた源氏のランチェスター戦略
はい、源氏の記事きましたよー。
確かに、富士川の戦い以降の頼朝は、義仲と同じように勢いで都まで登ってもよかったと思うわけですが、あえて西には向かわず、関東にこもって着々と力を蓄えていきます。
元々都育ちの頼朝ですから、都への愛着は強いはずなんですが、源氏没落の過程もみていますから、恐ろしさも知っていたのでしょう。あえて近づくことは、しませんでした。
ところで、記事中気になる一文が
優れた判断力で平家を繁栄させた清盛の死後、残された平家一族は権力維持の方法がわかりませんでした。
まあ確かに当時の平家の人々、分かってなかったかもですね。平家には源氏の大江広元に相当するブレーンがいなかったのが痛いですね。お坊ちゃん(宗盛、知盛ら)と武辺者(教経)と狡いおじさん(時忠)しかいないですから。
特に時忠なんかは、所詮自分さえ生き残れればいい人ですからね。
朝廷とのタフな交渉ができて、かつ平家生き残りの統合的なビジョンを示せる人がいればなぁ。
この記事の著者の本です。勝者に共通のルールがあるのと同じで、敗者にも共通のルール、というかサインがありますよね。いわゆる負けフラグってやつ。
おまけ・平佑奈「平家の家訓で20歳まで眉毛を整えてはダメなんです」
はい、平家で検索とかするからこういう関係ないのがかかってくるんですよw
平家の家訓なんて実際、「一、頼朝の首は、平清盛の墓前にささげること」ぐらいしかないですからね。
まあ今後ネタが無くなったら、関係なさげなものもガンガン取り上げていくことにします。
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それにしてもきれいだ……(恍惚)
宗盛醒睡記 第八話「殿上始」掲載しました&解説
新年度に伴うばたばたで全然更新できませんでしたが、春からも引き続いてやってまいります。大河小説「宗盛醒睡記」。今回はちょっと時間が空きましたが、第八話の更新です。
編集後記
今回は前話からいきなり数年経ち、保元四(1159)年の二月です。この話のメイントピックは、この時期に行われた上西門院統子の院号宣下です。
正直、この小説を書くにあたり、平安末期の社会制度を勉強する前までは、「○○門院」の存在意義が全く理解できませんでしたが、要するにこういうことです。
・男が上皇=「院」になれるなら、女だってなっていいじゃない
小説の中ではふれませんでしたが、後白河院が、姉の統子内親王を准母=母代わりに選んだのは、本当の母(待賢門院)が亡くなっていたこともありましたが、それ以上に、父の鳥羽院の影響力を排除したかった、という理由があるようです。
なお、女院になると、位を授けることもできるようになります。今回話の中で登場した頼朝も、上西門院から位をもらっていました。どうやら彼は上西門院のお気に入りだったようですが、これが後々彼の命運を大きく変えることになります。
さ~て、次回の宗盛醒睡記は~?
宗盛です。何でこんな寒い時期に熊野なんか行かなきゃいけないの?風邪でも引いたらどうするんだよ。
父上はじめ平家の武将が空っぽで、都の守りはどうすんのさ?何かあってもしらないぞ!
さて、次回の宗盛醒睡記は
・宗盛、また振り回わされる
・熊野なんて行かないなんて、言わないよ絶対
・足手まといはおいてけぼり
の三本です。
次回もまたみてくださいねー ジャン ケン ポン! ✋
日記を続けるコツは、書くネタがなくても書くこと
平安時代の貴族は、良く日記を書いた。
九条兼実の日記「玉葉」などは、四十年弱に渡って続き、当時の政治、権力の流れが全て分かる、非常に貴重な資料になっているというし、かれの叔父、藤原頼長の「台記」は、彼が好んだ男色についての記録が詳細に残っているという。
彼らの人生は波乱にとんだものだった。
九条兼実は平家~源氏へと権力の座が入れ替わるまさに過渡期だし、頼長も、自身が権力を手中にしてから、転落するまでが非常に早かった。まさにジェットコースター。
しかし、そんな人間達でも、人生の大半は、「何でもない日」が占める。淡々と事務処理をこなす日、誰とも会わなかった日、そんな日が結構あったんではないか。
……はい。最近ブログネタがなく、小説の執筆もなかなか思うに任せないので、とりあえず書くだけ書きました。
ちなみに筆者は実家暮らしを止め、春から一人暮らし、独立しようと思います。
重盛だって、若いうちから小松谷に邸を構えていたもんね(無理やり平家に繋げる)。
宗盛は……あれ?どこに住んでいたんだろう?
どこの邸にどんな風に暮らしていたか、っていう日常が、実は私は一番知りたい。○○事件の黒幕とか、××の乱の真相なんてものは、多分その日常さえ詳しく理解していれば、自ずとあぶりだされるものだから。
石田三成CM第二弾が公開!作ったのは?三成役は誰?
前回の記事で、ぜひ平宗盛版も!と希望した石田三成CM「武将といえば三成」の第二弾が公開されました!
munemori-taiga-project.hatenadiary.jp
今回も全くぶれてませんね!素晴らしい内容です。
やっぱり東軍眼鏡かけてちゃいけませんね。そしてCMに出てくる子供の説明口調がいい。完全に子役感丸出しで素晴らしいです。
なお今回作られたCMは6本で、そのどれもが、CMクリエイターの藤井亮さんという人の手によるものだそうです。
♪ミトゥナリ~
藤井亮さんは他にも、三戸なつめさんの「前髪切りすぎた」のPVを手掛けた方です。でも彼女は前髪伸ばした方がいいと思う。
なお、今回ノリノリで石田三成を演じた(扇子振って踊ってた)のは、関西の芸能事務所に所属する川端英司さんという役者さん。
一体どうやってキャストを決めたのか謎ですが、なかなか微妙なハマり方をしており、良いと思います。
これぜひ続編も作ってもらいたいところです。
おなじ敗軍の将でも、最後の最後まで諦めない三成と、最後の最後まで諦めの悪い宗盛とは全く正反対なので、今回のCMをきっかけに再評価が進んで来ればいいですな。
ついでに誰か宗盛CMも作ってやってください。
宗盛醒睡記 第七話「野望と狂気」掲載しました&解説
宗盛醒睡記 第七話「野望と狂気」を掲載しました。
編集後記
話中の時忠と時子の野望って、ここまででかかったのかなぁ?(一応作法としてここでは書きませんが)と疑問を持ちつつ書いてしまいました。別に本格的に歴史を研究しているわけではないので、全く資料にも拠ってません。
ただ、
・清盛が白河院のご落胤であるという噂は当時から語られていたということ
・単に行き当たりばったりで摂関家や天皇家に女子を嫁がせていたとは思えないこと
・宇多帝や醍醐帝などの前例があったこと
そして何より
・九条兼実が、平時忠を評して「こいつ頭がおかしいぜ」と言っていること
が自分なりの根拠といえば根拠であります。
九条兼実といえば、ガチガチの保守派ですから、この人に頭おかしいと評されるということは、斬新かつ大胆な発想ができるということの裏返しでもあるわけです。(単なるキ×ガイなら、あんなに平氏政権で力を持たんでしょう)
宗盛醒睡記は、当初は宗盛を再評価しよう!という目的の下スタートしましたが、段々とこの時代についての私の仮説を考える場になってしまっています。
正直平家物語は、あらゆる形で描かれつくしているので、出来るだけ違う角度から、視点から、ということを考えるうちにだんだんと仮説が増えていったという感じです。
それでは、次回予告。
さ~て、次回の宗盛醒睡記は?
平滋子です。初登場です。なんか5つしか違わない初対面の男の子におばさんとか呼ばれて失礼しちゃう!私まだ18なのに・・・でも、お兄さんや清盛さんと違って、素直そうないい子かも。
さて次回の宗盛醒睡記は?
・五歳違いのおばさん?
・宗盛あこがれの人
・やっぱりうごめく陰謀
の三本です。
次回もまたみてくださいねー ジャン ケン ポン! ✊
底辺投稿者が公開する「カクヨム」における3つの後悔
※カクヨム批判記事ではなく、カクヨムにおける「自分の」失敗記事です。
はじめに
平清盛の息子、平宗盛をNHK大河ドラマの主人公にしてみたい!それがダメなら、何らかの形(歴史番組や、単発ドラマ)でいいから取り上げて!ということでブログを立ち上げましたが、自分でも何か書いたろ!ということで、以前からちょっとずつ書いていた小説をアップすることにしました。
発表場所として選んだのは、ちょうどオープンしたてのカクヨムでした。
滑り出しは順調!
投稿当初こそ★も複数もらえ、始まったばっかりのランキングでは「歴史・時代」部門の20位ぐらいという位置につけ、下位とは言えランキングに入れたことに満足していました。
しかし、私の犯したミスのせいで、ランキングから滑り落ちた挙げ句、自分しか読まない小説を書き続ける、という讃岐に流された崇徳院や、鬼界が島に流された俊寛のような羽目に陥ってしまいました。
もう、読者のいない小説を書く目的は、平宗盛の生涯に私が思うままの自由解釈を加えていく以外に、なくなりました。
逆に言えば読者を意識する必要がないので、好きなように書くだけですね。
後悔①エピソードの更新間隔をあけすぎた
第一話から現在公開中の第六話までの更新日時は以下の通り
第一話 幻の都大路・・・2月29日
第二話 父の土産・・・3月4日
第三話 戦と宴・・・3月6日
~~~~ここでランキングスタート~~~~
第四話 足手まといの清三郎・・・3月17日(更新間隔11日)
第五話 元服・・・3月19日
第六話 宗子と時子・・・3月21日
はい、第三話までは比較的順調な滑り出しだったわけですが、忙しさにかまけたり、別作品(平家芥虫騒動)を書いたりしているうちに、ランキングから消え、ランキングから消えると、もうその作品は読まれすらしなくなる・・・という悪循環に入ってしまいました。
後悔②フォロー返しをしなかった
カクヨム運営開始当初からしばらくは、順調にフォロワー数が増えていきました。最大で確か15フォロワーまで行きましたが、この人たちが単なるフォロ爆(宣伝目的で無差別にフォローすること)をしてただけだったと気づいたのは、フォロワー数が3まで減少した後のことでした。
もしフォロー返しをしてあげれば、フォロワー数は減らず、義理でも作品を読む人がいたかもしれない、と後悔しています。
そして次が最後にして、最大の後悔です。
後悔③カクヨムのシステムへの理解が足りなかった
カクヨムで今一番よく読まれている小説をご存知ですか?
「オレオ」という小説です。
カクヨムのシステム上、この小説がカクヨムにあるもの中で、最高なんだそうですよ。評価は皆さんにお任せします。私は★三つを付けました。確かに素晴らしい。
私は、このサイトのシステムを理解することを怠っていたために、あと何万文字書こうが、今後永久に「オレオ」の3文字に勝つことはないのです。
オレオの勝因は、作者の方にお友達が多く、とっかかりの★やページビューをたくさん稼ぐことが可能だったことでしょう。
そこで一度ランキング上位に上がってしまえば、元来の内容の奇抜さが目に留まり、ランキングの順位はうなぎ登り、★もページビューもたくさん稼ぐことができます。もっと友達作っておくんだった・・・。
まとめ
カクヨムに小説掲載すんのはやめとけw
(※なお、私の宗盛醒酔記は、責任を持って完結させるつもりです)