宗盛醒酔記 第五話「元服」掲載しました&解説
宗盛醒酔記 第五話「元服」を掲載しました。
今話は元々書き溜めておいたエピソードだったので、前回からあまり間を開けずにすぐ更新できましたね。
しかし、三話と四話の間が空きすぎたせいで、すっかりアクセス数が下がってしまいました。あまり需要ないのかなぁ。源平時代自体、マイナーだしなぁ。(※それを解決するためのブログです。)
今回の裏話
今回のエピソードは、宗盛の元服に絡んだ話です。正直当時の武家の元服の作法がよくわからず、そこら辺の描写は、あやふやであります。鎌倉時代の資料ならあるかもしれませんが、平家はもう少し都風だろうと思いますし・・・。
あと、個人的にどうして宗盛は「宗盛」なのかなぁ?ということが気になってたので、次回六話では私なりの見解を披露してみたいと思います。
ちなみにエピソードを更新してから、非常にわかりやすい論文を見つけてしまいました。備忘録的に、リンク貼っておきます。
なお宗盛の子、清宗は、なんとわずか一歳で殿上人になってます。この頃の平家は摂関家をしのぐ勢いです。一歳ということは、当然元服などしてないので、叙位任官と、諱の名づけと、元服は、セットではなかったようです。
いやぁ、勉強になりますね。(一回、源平時代の○○調べるならココ!っていうリンク集をまとめたいです。)
さ~て!次回の宗盛醒酔記は?(サザエさん風に)
清三郎改め宗盛です。私の元服に際し、母時子がはじめに父清盛に提案したのは、自らの一族にゆかり深い「時盛」という諱(いみな)でした。
これには、母の一族挙げて、私を盛り立てていくという意味が隠されていたのですが、あまりに露骨すぎ、父に嫌われてしまいました。
そこで、母が考えたのは、祖母池禅尼の俗名「宗子」にちなんだ「宗盛」でした。自らの名に肖り、私が元服すると知り喜んだ祖母ですが、母の狙いは、別のところにありました・・・。
次回もまた読んでくださいね~!
ンガング・・・(唐果物(からくだもの)をのどに詰まらせる)