平宗盛をNHK大河ドラマの主人公に!~平宗盛大河プロジェクト~

平家物語では散々な扱いを受けている、清盛の三男坊、平宗盛にスポットを当てたブログ。いつの日か、大河ドラマ化されるといいね。

本当の意味での平氏滅亡は戦国時代?「壇ノ浦」以降の平氏の武士たちを追う!

はじめに

一般的に平家といえば、平清盛やその子宗盛らを筆頭に平安時代末期に大いに栄えたものの、最後は文治元(1185)年の壇ノ浦の戦いとその戦後処理によって、滅亡したとされます。

しかし「平家」というのは、平姓を賜った「平氏」の中のごくごく一部の人たちに過ぎないわけです。

例えば、平家を倒してできた鎌倉幕府を牛耳っていた北条氏は平氏ですし、その他鎌倉幕府の有力御家人はほとんどが平氏の子孫たちです。

例えば、このサイトには、承久の乱後の全国の守護大名の配置図が載っています。

鎌倉時代 九州・四国の鎌倉幕府守護大名と豪族(武士団)、有力国人衆

これを見ると、北条氏以外にも千葉氏、三浦氏、という平氏の一族がいます。(ただし、北条氏にほとんどつぶされてしまいます。)

鎌倉幕府は後になるほど得宗家支配が強まり、全国のほとんどを北条氏が支配することになるわけです。

しかし、圧倒的な権勢を誇った北条氏は、彼らが寄生していた鎌倉幕府ごと、源氏の足利尊氏や新田義貞の力によって滅ぼされてしまいます。

室町時代は平氏受難の時代

その後室町幕府の時代になると、足利氏自体が頼朝と違って、既に強力な支族達(細川、斯波、吉良など)を有していたため、平氏の陰が薄くなります。

室町幕府成立直後の全国の守護配置図を見てみましょう。
(天下侍魂 さまより転載)

http://1st.geocities.jp/tugami555syou/img962.jpg

これら守護64人を見てみると、源氏系37人(うち足利支族17人)、藤原氏系13人、平氏系6人、その他9人となっています。

応仁の乱時点ではこれに足利将軍家の一族(鎌倉公方)が加わりますし、細川家などの足利支族系の大名の台頭が強まるので、平氏流の武家の肩身はますます狭くなります。

しかし、平氏系(自称も含む)武士にとって雌伏の時代だった室町時代のあと、平氏系武士にとっての最後の輝きを誇った時代がやってきます。

戦国時代は平氏系武士が最後に輝いた時代

応仁の乱で幕府がすっかり力を失い、全国的に群雄割拠の戦国時代に入りますが、この時代になると「源平交代説」というのが意識されるようになっていきます。

これまでの武士の歴史を見てみると

平清盛(平氏)⇒源頼朝(源氏)⇒北条氏(平氏)⇒足利氏(源氏)と、源平が交代で世の中を治めてきたのだから、次に天下を治めるのは平氏に違いない!という考え方です。

実際、戦国時代の勢力図を見直すと、一気に平氏が台頭してきています。

こちらのサイトさんからお借りした1560年時点での勢力図をみると・・・

http://www.geocities.jp/seiryokuzu/c1560.jpg

細かい図ですが、この当時平氏(自称含む)で勢力を持っているのは、葦名氏、長尾氏、後北条氏、江馬氏、織田氏(藤原氏説有り)、有馬氏(藤原氏説あり)。

この図は1560年時点の図になりますから、この後急速に勢力を拡大してくる織田氏も、自称平氏です。(実際は藤原氏では?と言われていますが・・・)

ともかく信長は源平交代説を意識した結果、平氏を名乗ったとされています。

こうして本能寺の変発生直前には(これも先ほどのサイトからお借りしました)には、四国の一部、近畿、北陸、東海、甲信までを織田信長が治め、越後に上杉(長尾)、関東に北条と、すっかり天下は平氏系大名に占められた!という状態になるわけです。

http://www.geocities.jp/seiryokuzu/c1582a.jpg

しかし、皆さんご存知のように1582年の本能寺の変以降、織田氏は求心力を失い、代わって台頭してきた秀吉によって北条氏は滅亡させられ、これにより平氏の流れを汲む武士たちが天下の表舞台に登場することは、なくなりました。

そう言う意味で、「平家」の滅亡は壇ノ浦の戦いだが、「平氏」の滅亡は本能寺の変、および小田原征伐によるものといえるでしょう。

江戸時代以降は細々と・・・

江戸時代には完全に平氏の流れを汲む大名は駆逐されてしまい、わずかに宗氏、織田氏、相馬氏程度になってしまいました。

石高的にも、宗氏が10万石格、相馬氏が6万石、織田氏は最大で2万石と、惨憺たるものです。

源平交代説、発動せず・・・

前述の源平交代説を考えると、江戸時代が源氏(怪しいですが)の徳川氏なら、この次は平氏・・・となるはずですが、明治維新で活躍した人々を見ても

薩摩

西郷隆盛・・・菊地氏の一族西郷氏の出。大本は藤原氏。

大久保利通・・・不明だが藤原氏

黒田清隆・・・不明

小松清廉・・・禰寝氏(重盛流平氏?)

長州

木戸孝允・・・大江氏(毛利元就の七男天野元政の子孫)

伊藤博文・・・越智氏または藤原氏

井上馨・・・源氏

山縣有朋・・・源氏?

土佐

板垣退助・・・源氏(清和源氏武田・板垣氏支流)

後藤象二郎・・・藤原氏

肥前

江藤新平・・・平氏

大隈重信・・・菅原氏

ほとんど平氏は居ませんし、平氏の血を継いでいそうな小松清廉、江藤新平とも、維新後すぐに死んでしまっています。

まとめ

長々と書いてしまいましたが、ざっくり言えば

・壇ノ浦の戦いで滅んだのは平氏のごく一部だけ

・鎌倉、室町時代にも平氏は衰退しつつも生き残っていた

・戦国時代には織田氏、北条氏など平氏系大名が台頭した

・しかし本能寺の変と小田原征伐で、平氏系の有力大名はほぼ滅びた

ということです。

我こそは!という平氏の血を継ぐ皆さん!いつか再び平氏の世を!

(かくいう私自身は平氏の血は引いていませんがw)