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平宗盛をNHK大河ドラマの主人公に!~平宗盛大河プロジェクト~

平家物語では散々な扱いを受けている、清盛の三男坊、平宗盛にスポットを当てたブログ。いつの日か、大河ドラマ化されるといいね。

天皇の生前譲位について調べてみた

天皇陛下が生前譲位のご意向とか…(情報ソースがはっきりせず、宮内庁次長は否定していますが)

jp.reuters.com

まあ私が好きな平家一門に言わせれば「え?普通じゃん?」となる訳ですが、生前譲位を想定しない制度の下生きている我々には、衝撃的なニュースなのは間違いありません。

そもそも生前譲位するとどうなる?

生前に位を譲った天皇は、歴史上の前例では「上皇」と呼ばれます。初めて上皇(大上天皇)となったのは、百人一首でおなじみの持統天皇です。

当初、つなぎ役の女帝が後継男子に生前譲位し、大上天皇となるというパターンが続きましたが、大同4(809)年に男性である平城天皇が「病弱」を理由に弟の嵯峨天皇に譲位したことで変化が生じます。

なんと平城上皇は譲位後なぜか病気が回復ちゃったのです。

元気になった平城上皇は、天皇復帰を画策してクーデターを起こします。このクーデターは、上皇が寵愛した愛人の名から、「薬子の変」と呼ばれています。

この事件はクーデターを起こされた嵯峨天皇側にとってトラウマとなり、嵯峨天皇は後に自身が生前譲位する際、上皇の称号を拒否したほどでした。(その後、適当な称号がないこともありしぶしぶ名乗りましたが…)

平安京の人びと―平安時代前期 (小学館版学習まんが―少年少女日本の歴史)

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穢れを避けるための上皇

その後の「上皇」は、病気で重態になった天皇を譲位させ、在位中の天皇が亡くなる、という当時最大のタブーを避けるためだけの存在になります。

wikipedia情報ですが、醍醐天皇は上皇になって8日で崩御されていることからみても、あくまで臨時的存在であることがわかるでしょう。

「院政」で息を吹き返す「上皇」

そんな陰の薄い存在だった上皇位ですが、再び歴史上脚光を浴びる機会が訪れます。

それが、11世紀末~12世紀末に全盛期を迎えた院政

天皇以上の力を持った摂関家を封じるべく、「天皇の父」という天皇を超える権威と、朝廷から独立している故の自由さを兼ね備える上皇の優位性に初めて気づき、利用したのが後三条天皇(上皇)でした。

後三条天皇は摂関家の経済基盤だった荘園を奪い、その後の院政の経済基盤を作ることに成功しました。

その子白河天皇も父のやり方をさらに踏襲、強化して行きます。

彼は自分の血をひく幼い天皇(孫やひ孫)を次々即位させ、「天皇家のゴッドファザー」となることで、思い通りにならないものは、サイコロの目と川の流れと比叡山の法師の三つだけという状態を作りだしたのでした。

再び封印された「上皇」

その後は、白河法皇のひ孫である後白河法皇が、平家から源氏と力を持つものが大きく入れ替わる中を巧みに遊泳し、権力の保持に成功します。

しかし、その孫の後鳥羽上皇が鎌倉幕府相手にクーデター(承久の乱)を起こして失敗、院政は力を失い、上皇はまた名目的な存在へと戻ります。(南北朝時代の後醍醐上皇など有名な上皇もいますが、院政時代のような強大な権力と財力とは比べ物にならないでしょう。)

わが国で最後に上皇を名乗ったのは光格上皇で、およそ200年前の1814年に譲位してから、1840年に崩御されるまでとなります。

つまり、わが国には約180年もの間、上皇位は空位となっているのです。

なお、海外の事例をあたると、オランダのベアトリクス女王は退位後「王女」として一王族に戻っています。

私個人としては、「上皇」という称号には院政による社会や政治の乱れのイメージがあることや、いくら実際の権力がないとはいえ、権威面で天皇と同格以上の称号を置くことによる混乱を考えると、大正時代の前例を踏襲し「摂政」で対応するのが妥当では、と思います。

 

天皇の歴史(3) 天皇と摂政・関白

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