宗盛醒睡記 第十話「変事出来」掲載しました&解説
はい、ようやく平治の乱が発生しました。
編集後記
10話は途中まで普通に熊野までの観光ガイドと化してましたが、ようやく平治の乱まで来ました。正直50話まで持つかなと思ってましたが、一個一個のエピソードを引き延ばせば結構いけますね。(堂々と引き伸ばし行為を告白する作者)
さて、今回はいろんなサイトを参考にさせていただきました。
中でもこちらは、実際に紀伊路を歩かれた方の記録です。
距離としては、途中の寄り道がなければ約170キロつまり、約40里ということになります。平治物語によれば、清盛一行は四日に都を出て、九日まで五日間で切目王子(切部宿)に到着しています。その距離なんと140~150km(推定) 。
平均すると日に30キロは歩く計算になります。
時速5キロだとしても一日6時間。ほとんど一日歩いているだけっていう感じですね。
以前真田丸で、信繁たちが3日間で40里(=約120km)を歩いて逃げるという描写がありましたが、それも結局一日40キロという強行軍をこなしているということなんですね。
マジで昔の人ってたくさん歩いたんだなぁ。
あのわがままそうな、院や摂関家の人々が我先にと熊野へ向かう様子が全く想像できません。意外と享楽的なようでストイックな人たちだったのかもしれません。
っていうか、信仰という歯止めがない分だけ、現代人の方がよっぽどタチ悪いかも。
それでは次回予告です。
さ~て次回の宗盛醒睡記は~?
基盛だ!せっかく久々の熊野参詣だってのに、宗盛が付いて来ちまったからすぐ疲れるし、泣きだすしさぁ。もうあんな奴放っといてさっさと都戻って源氏をつぶそうぜ!
さて、次回の宗盛醒睡記は?
・宗盛、熊野でひとり○○
・謎の美少年登場
・謎の美少年(その2)登場
の三本だ!
それじゃジャン!ケン!ポン!✊