平宗盛をNHK大河ドラマの主人公に!~平宗盛大河プロジェクト~

平家物語では散々な扱いを受けている、清盛の三男坊、平宗盛にスポットを当てたブログ。いつの日か、大河ドラマ化されるといいね。

宗盛醒睡記 第十四話「二人の不覚人」掲載しました&解説

なんとまあ三か月ぶりの更新。なんとしても完結させたい宗盛醒睡記ですが、今回でようやく「熊野・平治の乱編」終了。

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編集後記

私がこの小説を書く理由は、最初は「宗盛の一生を宗盛視点から描く」ということだったが、途中から「複雑な源平時代をできるだけ単純に解説する」ことも目的に加わった。

ただ、そのために歴史上の事実の説明に追われてしまい、また私自身が小説素人でもあり、小説としての表現力にどこまでリソースを使えたかな?という感じ。

ただ、宗盛の平治の乱の間の動きが残っていないので、好きに動かしちゃおう!というわけで、宗盛に寝坊させ、遅れて合流というか形にした。

今後は「熊野」的なエピやって、平治の乱の戦後処理と頼朝少年との邂逅をやって、その後は二条帝の近臣編から時間を飛ばして、平家の全盛期へ…という感じかな。

さ~て、次回の宗盛醒睡記は?

宗盛です。命からがら戻ってきたのに、誰も喜んでくれません。やはいり私は邪魔だったのでしょうか…

次回の宗盛醒睡記は

・宗盛、熊若とまさかの再会

・宗盛遠江守としての自覚を持つ

・宗盛少し持ち直す

の三本です

次回もまたみてくださいね~ジャン、ケン、ポン 

 

宗盛醒睡記 第十三話「奔流」掲載しました&解説

宗盛醒睡記第十三話「奔流」を掲載しました。

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編集後記

宗盛が叔父忠度と熊若に合流して、父から遅れて都へと向かいます。一方父は先に都へと戻り、意外な行動を見せます。

信頼は清盛ら平家の動きを警戒していただけに、清盛がいきなり平家一門の名簿を提出し、恭順の意を示したことは嬉しいサプライズだったでしょう。

果たして清盛の行動の意図は?

といったところで次回に続きます。

あと、熊若と宗盛の絡み(変な意味じゃなくてw)が意外にすくなくなったので、もうちょっとその辺り書こうかなと思います。

さ~て、次回の宗盛醒睡記は?

宗盛です。熊若は不思議な奴です。なんというか男なんだからもう少し男らしくしないと……まあ人のこと言えた義理じゃないんだけどね。

さて、次回の宗盛醒睡記は

・熊若、宗盛と話す

・信頼、天下の不覚人

・宗盛、平家の不覚人

の三本です。

次回もまた見てくださいね。ジャン、ケン、ポン!

宗盛醒睡記 第十二話「忠度と熊若」掲載しました&解説

はい、遅くなりましたが第12話投稿しましたよ。あと13話も更新したので、次の記事で続けてあげます。

kakuyomu.jp編集後記

今作初のオリジナルキャラクタを登場させました。熊若、という華奢な子なのですが、忠度の父違いのきょうだいで、明けて12歳となり、宗盛の二つしたになります。

今回は、熊野の湛増が差し向けてくれた忠度率いる一隊の一員に過ぎませんが、今後度々登場させる予定です。

それにしても、平治の乱(しかもメインじゃなくて裏側)を延々と書いてていいのかw

さ~て次回の宗盛醒睡記は?

熊若です。兄と湛増様に頼まれて宗盛という人といっしょに都までついていくことになったのですが……馬に乗るのは下手だし、すぐ疲れたとか言うし、全然武士らしくありません。この人、変わってるなぁ。

さて、次回の宗盛醒睡記は

・宗盛、足手まとい

・清盛、都へ帰る

・信頼、絵になる男

の三本です。

次回もまたみてくださいね~ジャン、ケン、ポン!

宗盛醒睡記 第十一話「遺訓」掲載しました&解説

はい、実に約3週間ぶりの新作です。

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編集後記

個人的な事情で恐縮ですが、この間本業が忙しかったこともあり、宗盛醒睡記の更新が滞ってしまいました。

・・・それはさておき、ようやく切目王子(和歌山県)に宿泊していた清盛一行に信頼のクーデターの報せが入りました。

当然知らせを受けた平家一門は混乱するわけですが、この時の平家にはしっかりした人材がそろっていました。

当時すでに70歳を超えていた古参の家人、平家貞の機転で、平家は危機を脱するきっかけをつかむことになります。

平家貞は元々は清盛と同じく伊勢平氏の一族でした。家貞の祖父貞光と、清盛の曾祖父正衡は兄弟で、その父はともに平正度ということになります。

なお、同じく一門で著名な家人平盛国の祖父維盛(重盛の長男とは別人)は、貞光、正衡と兄弟の間柄になります。

木工介家貞は当時としては非常に長命で、八十六歳まで生きていたそうです。大河ドラマでは、中村梅雀さんが演じ、中国伝来のお菓子「からくだもの」が大好きな老人として描かれました。

さ~て、次回の宗盛醒睡記は?

宗盛です。朝起きたら誰も宿舎にいませんでした!まるで西洋の映画、「ほーむあろーん」のような展開になってきましたが、次回ついにわたしの生涯を変える出会いをすることになります。

次回の宗盛醒睡記は

・ようやく謎の美少年その1、その2登場

・一路都へ!

・みんな宗盛のこと、忘れてね?

の三本です。

 

次回もまたみてくださいねー

ジャン!ケン!ポン!

宗盛醒睡記 第十話「変事出来」掲載しました&解説

はい、ようやく平治の乱が発生しました。

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編集後記

10話は途中まで普通に熊野までの観光ガイドと化してましたが、ようやく平治の乱まで来ました。正直50話まで持つかなと思ってましたが、一個一個のエピソードを引き延ばせば結構いけますね。(堂々と引き伸ばし行為を告白する作者)

さて、今回はいろんなサイトを参考にさせていただきました。

中でもこちらは、実際に紀伊路を歩かれた方の記録です。

距離としては、途中の寄り道がなければ約170キロつまり、約40里ということになります。平治物語によれば、清盛一行は四日に都を出て、九日まで五日間で切目王子(切部宿)に到着しています。その距離なんと140~150km(推定) 。

平均すると日に30キロは歩く計算になります。

時速5キロだとしても一日6時間。ほとんど一日歩いているだけっていう感じですね。

以前真田丸で、信繁たちが3日間で40里(=約120km)を歩いて逃げるという描写がありましたが、それも結局一日40キロという強行軍をこなしているということなんですね。

マジで昔の人ってたくさん歩いたんだなぁ。

あのわがままそうな、院や摂関家の人々が我先にと熊野へ向かう様子が全く想像できません。意外と享楽的なようでストイックな人たちだったのかもしれません。

 

霊山と日本人 (講談社学術文庫)

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熊野古道をあるく (大人の遠足BOOK)

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っていうか、信仰という歯止めがない分だけ、現代人の方がよっぽどタチ悪いかも。

それでは次回予告です。

さ~て次回の宗盛醒睡記は~?

基盛だ!せっかく久々の熊野参詣だってのに、宗盛が付いて来ちまったからすぐ疲れるし、泣きだすしさぁ。もうあんな奴放っといてさっさと都戻って源氏をつぶそうぜ!

さて、次回の宗盛醒睡記は?

・宗盛、熊野でひとり○○

・謎の美少年登場

・謎の美少年(その2)登場

の三本だ!

それじゃジャン!ケン!ポン!

宗盛醒睡記 第九話「熊野へ」掲載しました&解説

はい、大難産の末、ようやくアップできました。

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編集後記

およそ3週間も間が空いてしまいました。

ちょっと仕事が立て込んだのと、今回の話は次話以降への繋ぎ、というか布石になるお話なのであまり、ドラマが動かないんですよね。

ところで、平治の乱の最後の引き金を引いた形になる「清盛の熊野参詣」ですが、当時の熊野参詣って調べるほど過酷・・・。

山道、言葉遣いの制限、精進潔斎、食事も制限・・・しかも旧暦12月ということは新暦に直せば1月。寒すぎて死にますよ。

熊野については、こちらのサイトが大変詳しいです。

www.hongu.jp

これだけ過酷なのと、当時、宗盛の平治の乱当時の動きについての記録が特にないので、熊野に当時数えで十三歳の宗盛を連れていくかどうかで迷いました。

しかし同い年の頼朝クンが、平治の乱後に雪道を馬に乗って東へ東へ逃げているので、じゃあ行ってもらおうかな!とばかりに無理やり熊野に連れていくことにしました。

辛いだろうなぁ・・・。

さ~て、次回の宗盛醒睡記は?

宗盛です。今回全然話進んでない。こんな寒空の下熊野参詣なんて行きたくないよ。どっかで引き返したいなぁ・・・。

さて、次回の宗盛醒睡記は

・まさかの参詣中止

・どうやって帰ろうかな?

・帰るのよそうかな?

の三本です。

次回もまたみてくださいねー ジャン ケン ポン! 

宗盛醒睡記 第八話「殿上始」掲載しました&解説

新年度に伴うばたばたで全然更新できませんでしたが、春からも引き続いてやってまいります。大河小説「宗盛醒睡記」。今回はちょっと時間が空きましたが、第八話の更新です。

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編集後記

今回は前話からいきなり数年経ち、保元四(1159)年の二月です。この話のメイントピックは、この時期に行われた上西門院統子の院号宣下です。

正直、この小説を書くにあたり、平安末期の社会制度を勉強する前までは、「○○門院」の存在意義が全く理解できませんでしたが、要するにこういうことです。

・男が上皇=「院」になれるなら、女だってなっていいじゃない

小説の中ではふれませんでしたが、後白河院が、姉の統子内親王を准母=母代わりに選んだのは、本当の母(待賢門院)が亡くなっていたこともありましたが、それ以上に、父の鳥羽院の影響力を排除したかった、という理由があるようです。

なお、女院になると、位を授けることもできるようになります。今回話の中で登場した頼朝も、上西門院から位をもらっていました。どうやら彼は上西門院のお気に入りだったようですが、これが後々彼の命運を大きく変えることになります。

さ~て、次回の宗盛醒睡記は~?

宗盛です。何でこんな寒い時期に熊野なんか行かなきゃいけないの?風邪でも引いたらどうするんだよ。

父上はじめ平家の武将が空っぽで、都の守りはどうすんのさ?何かあってもしらないぞ!

さて、次回の宗盛醒睡記は

・宗盛、また振り回わされる

・熊野なんて行かないなんて、言わないよ絶対

・足手まといはおいてけぼり

の三本です。

次回もまたみてくださいねー ジャン ケン ポン!