今週の平家ニュース(5/8~5/14,5/15~21)合併号
はい、本当に久しぶりの更新となります。
約半月ぶりでしょうか?時間が経ってしまい、すっかりこのブログも放置か?と思ってしまわれた数少ない読者の方、安心してください。続けてますよ!(ちょっと古くなりつつあるネタ)
実は最近、家を引っ越ししまして・・・。ネットが開通するまでに時間がかかるし、メインで使ってるパソコンのキーボードを実家に忘れて、スクリーンキーボードしか使えない間抜けな状態でしばらく過ごしました。
しかしネットも完全開通、キーボードも復活してようやく元の環境に戻って、リスタートです。
というわけで、約3週間ぶり?の平家ニュース。
まずは5/8~5/14の週から。
高熱に苦しんだ末死んだ清盛、死因はインフルエンザ?
zasshi.news.yahoo.co.jp平家物語ではとにかく高熱がでて「あたあた・・・」とか「熱い熱い・・・」と言いながら死んでいったという描写がされた清盛でしたが、「戦国武将の死亡診断書」の監修で知られる順天堂大学の酒井シヅ名誉教授によればインフルエンザではないか?という仮説が提示されています。
清盛が死んだのは現在でいうところの2月で、現代ではインフルエンザの大流行期です。しかし、海外との交流が盛んだった清盛ですから、インフルエンザよりもむしろマラリア説の方を推したいです。
なんかインフルエンザで死んだとか、清盛の死に様にしてはちょっとカッコ悪いかなと・・・。
続いては翌週5/15~21週のこのニュース。
落馬で死んだ頼朝、暗殺説や糖尿病説も・・・
上の清盛の記事とどうやら同じシリーズのようですね。あの清盛が「墓前に首を供えろ」といったあの人の死因について、分析されています。
武家の棟梁が落馬で死ぬとは情けない話ですが、やはりそのまま普通に落馬で死んだとは酒井先生は考えていないようです・・・。
意外と清盛も、頼朝もその生涯に比べて死に方はあっけないんですよねぇ。
それでは・・・。
今週の平家ニュース(5/1~5/7)
今週も平家にまつわる(まつわらない物も時には可)いろんなニュースを取り上げる平家ニュースの時間がやってまいりました。
先週は
・綱引きで源平合戦
・日本の歴史を変えた名刀「小烏丸」とは?
・平家谷で新緑に包まれそうめん流し
と、やっぱりゴールデンウィークな内容が目立ちました。
今週も大型連休後半戦ということで、結構観光客目当てのイベントで平家が取り上げられてるみたいです。それではまずトップニュースから。
安徳帝しのび下関で先帝祭
おお、やっと当ブログの趣旨に沿ったニュースが出てきたぞ。
というわけで、3日に山口県下関の赤間神宮で行われた「先帝祭」についてのニュースです。
画像を見ていると派手派手しい花魁姿の女性たちが歩いています。平家の滅亡と花魁パレードに何の関係が?と思ったのですが、さすがwikipediaさん、解説がありました。
引用しようと思ったのですが、長いので要約します。
平家滅亡後、建礼門院徳子(宗盛の妹)に仕えた女官たちが、毎年安徳帝を偲びつつ神社に参拝していたが、その後彼女たちを匿っていた人が妓楼を営むようになり、遊女たちによって参拝が引き継がれ、江戸時代に現在のような花魁スタイルで街を練り歩くものに変化していったということですね。
wikipediaには、女官を匿っていた人が妓楼を営むようになった経緯がかかれていませんが、要するに元女官たちが遊女に身をやつしたわけなんですね。
「あの平家に仕えた女官たちが、今宵あなたに一夜の栄華を・・・」的な売り文句で、当時評判になったのではないでしょうか。多分オプションで宮廷衣装コースもあったと思います(ねーよ)。
まあゲスい言い方すれば、今でいう元芸能人のAVみたいなもんですよね。見た目はともかく、好奇心の方が先に立つみたいな。
安徳帝を偲ぶお祭りから脱線しまくりましたので、次のニュースです。
間垣加え四つの「里」 輪島市、誘客の目玉に
石川県輪島市では、あまちゃんの二匹目のドジョウを狙って大失敗した「まれ」の舞台を、観光地化しようとしているようですね。
元々輪島市では、漆、禅、そして平家が観光政策の三本柱だったようですが、これに加えて新たにドラマの舞台となった「間垣の里」を、観光の目玉にしたいと意気込んでいるようです。
輪島市には、あの平時忠(宗盛の叔父)が流罪になった際に住んだ場所があり、時忠の子時国の子孫が代々「時国家」として、一帯の村々を治める庄屋(加賀藩では十村役とも)となったそうです。
なお、輪島市の町野という地区では、かつての庄屋さんのお宅に泊まることができます。
なお、食事の提供はないので、各自自分でご用意ください。
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おまけ・平祐奈「眉毛は聖域なんです」
また出ましたね彼女。記念すべき第一回のニュースで、「平家の家訓」として「20歳まで眉毛をいじらないこと」と言ってた平祐奈さんの別のインタビューです。
とりあえず、もし平宗盛が大河化された際には、時代劇にも出演経験のある平祐奈さんにはぜひ何らかの役どころで出ていただきたいところです。(源氏方だったりして)
宗盛醒睡記 第十話「変事出来」掲載しました&解説
はい、ようやく平治の乱が発生しました。
編集後記
10話は途中まで普通に熊野までの観光ガイドと化してましたが、ようやく平治の乱まで来ました。正直50話まで持つかなと思ってましたが、一個一個のエピソードを引き延ばせば結構いけますね。(堂々と引き伸ばし行為を告白する作者)
さて、今回はいろんなサイトを参考にさせていただきました。
中でもこちらは、実際に紀伊路を歩かれた方の記録です。
距離としては、途中の寄り道がなければ約170キロつまり、約40里ということになります。平治物語によれば、清盛一行は四日に都を出て、九日まで五日間で切目王子(切部宿)に到着しています。その距離なんと140~150km(推定) 。
平均すると日に30キロは歩く計算になります。
時速5キロだとしても一日6時間。ほとんど一日歩いているだけっていう感じですね。
以前真田丸で、信繁たちが3日間で40里(=約120km)を歩いて逃げるという描写がありましたが、それも結局一日40キロという強行軍をこなしているということなんですね。
マジで昔の人ってたくさん歩いたんだなぁ。
あのわがままそうな、院や摂関家の人々が我先にと熊野へ向かう様子が全く想像できません。意外と享楽的なようでストイックな人たちだったのかもしれません。
っていうか、信仰という歯止めがない分だけ、現代人の方がよっぽどタチ悪いかも。
それでは次回予告です。
さ~て次回の宗盛醒睡記は~?
基盛だ!せっかく久々の熊野参詣だってのに、宗盛が付いて来ちまったからすぐ疲れるし、泣きだすしさぁ。もうあんな奴放っといてさっさと都戻って源氏をつぶそうぜ!
さて、次回の宗盛醒睡記は?
・宗盛、熊野でひとり○○
・謎の美少年登場
・謎の美少年(その2)登場
の三本だ!
それじゃジャン!ケン!ポン!✊
本当の意味での平氏滅亡は戦国時代?「壇ノ浦」以降の平氏の武士たちを追う!
はじめに
一般的に平家といえば、平清盛やその子宗盛らを筆頭に平安時代末期に大いに栄えたものの、最後は文治元(1185)年の壇ノ浦の戦いとその戦後処理によって、滅亡したとされます。
しかし「平家」というのは、平姓を賜った「平氏」の中のごくごく一部の人たちに過ぎないわけです。
例えば、平家を倒してできた鎌倉幕府を牛耳っていた北条氏は平氏ですし、その他鎌倉幕府の有力御家人はほとんどが平氏の子孫たちです。
例えば、このサイトには、承久の乱後の全国の守護大名の配置図が載っています。
鎌倉時代 九州・四国の鎌倉幕府守護大名と豪族(武士団)、有力国人衆
これを見ると、北条氏以外にも千葉氏、三浦氏、という平氏の一族がいます。(ただし、北条氏にほとんどつぶされてしまいます。)
鎌倉幕府は後になるほど得宗家支配が強まり、全国のほとんどを北条氏が支配することになるわけです。
しかし、圧倒的な権勢を誇った北条氏は、彼らが寄生していた鎌倉幕府ごと、源氏の足利尊氏や新田義貞の力によって滅ぼされてしまいます。
室町時代は平氏受難の時代
その後室町幕府の時代になると、足利氏自体が頼朝と違って、既に強力な支族達(細川、斯波、吉良など)を有していたため、平氏の陰が薄くなります。
室町幕府成立直後の全国の守護配置図を見てみましょう。
(天下侍魂 さまより転載)
これら守護64人を見てみると、源氏系37人(うち足利支族17人)、藤原氏系13人、平氏系6人、その他9人となっています。
応仁の乱時点ではこれに足利将軍家の一族(鎌倉公方)が加わりますし、細川家などの足利支族系の大名の台頭が強まるので、平氏流の武家の肩身はますます狭くなります。
しかし、平氏系(自称も含む)武士にとって雌伏の時代だった室町時代のあと、平氏系武士にとっての最後の輝きを誇った時代がやってきます。
戦国時代は平氏系武士が最後に輝いた時代
応仁の乱で幕府がすっかり力を失い、全国的に群雄割拠の戦国時代に入りますが、この時代になると「源平交代説」というのが意識されるようになっていきます。
これまでの武士の歴史を見てみると
平清盛(平氏)⇒源頼朝(源氏)⇒北条氏(平氏)⇒足利氏(源氏)と、源平が交代で世の中を治めてきたのだから、次に天下を治めるのは平氏に違いない!という考え方です。
実際、戦国時代の勢力図を見直すと、一気に平氏が台頭してきています。
こちらのサイトさんからお借りした1560年時点での勢力図をみると・・・
細かい図ですが、この当時平氏(自称含む)で勢力を持っているのは、葦名氏、長尾氏、後北条氏、江馬氏、織田氏(藤原氏説有り)、有馬氏(藤原氏説あり)。
この図は1560年時点の図になりますから、この後急速に勢力を拡大してくる織田氏も、自称平氏です。(実際は藤原氏では?と言われていますが・・・)
ともかく信長は源平交代説を意識した結果、平氏を名乗ったとされています。
こうして本能寺の変発生直前には(これも先ほどのサイトからお借りしました)には、四国の一部、近畿、北陸、東海、甲信までを織田信長が治め、越後に上杉(長尾)、関東に北条と、すっかり天下は平氏系大名に占められた!という状態になるわけです。
しかし、皆さんご存知のように1582年の本能寺の変以降、織田氏は求心力を失い、代わって台頭してきた秀吉によって北条氏は滅亡させられ、これにより平氏の流れを汲む武士たちが天下の表舞台に登場することは、なくなりました。
そう言う意味で、「平家」の滅亡は壇ノ浦の戦いだが、「平氏」の滅亡は本能寺の変、および小田原征伐によるものといえるでしょう。
江戸時代以降は細々と・・・
江戸時代には完全に平氏の流れを汲む大名は駆逐されてしまい、わずかに宗氏、織田氏、相馬氏程度になってしまいました。
石高的にも、宗氏が10万石格、相馬氏が6万石、織田氏は最大で2万石と、惨憺たるものです。
源平交代説、発動せず・・・
前述の源平交代説を考えると、江戸時代が源氏(怪しいですが)の徳川氏なら、この次は平氏・・・となるはずですが、明治維新で活躍した人々を見ても
薩摩
西郷隆盛・・・菊地氏の一族西郷氏の出。大本は藤原氏。
大久保利通・・・不明だが藤原氏
黒田清隆・・・不明
小松清廉・・・禰寝氏(重盛流平氏?)
長州
木戸孝允・・・大江氏(毛利元就の七男天野元政の子孫)
伊藤博文・・・越智氏または藤原氏
井上馨・・・源氏
山縣有朋・・・源氏?
土佐
板垣退助・・・源氏(清和源氏武田・板垣氏支流)
後藤象二郎・・・藤原氏
肥前
江藤新平・・・平氏
大隈重信・・・菅原氏
ほとんど平氏は居ませんし、平氏の血を継いでいそうな小松清廉、江藤新平とも、維新後すぐに死んでしまっています。
まとめ
長々と書いてしまいましたが、ざっくり言えば
・壇ノ浦の戦いで滅んだのは平氏のごく一部だけ
・鎌倉、室町時代にも平氏は衰退しつつも生き残っていた
・戦国時代には織田氏、北条氏など平氏系大名が台頭した
・しかし本能寺の変と小田原征伐で、平氏系の有力大名はほぼ滅びた
ということです。
我こそは!という平氏の血を継ぐ皆さん!いつか再び平氏の世を!
(かくいう私自身は平氏の血は引いていませんがw)
今週の平家ニュース(4/24~4/30)
はい、第四回となりました。今週も平家にまつわるのかまつわらないのかわからないニュースを取り上げる「今週の平家ニュース」。
まずは私虎尾伴内の地元、富山県のニュースから。
富山県小矢部市と、石川県津幡町の住民が、それぞれ源平方に別れて綱引きを行うこのイベントには、両軍100人ずつ200人が参加。対決は平家方となった津幡町が勝利した。
ということで、なんと我らが平家方が大勝利!
なお、イベントに先立って行われたセレモニーでは、両市町が力を入れている木曽義仲、巴御前を主役とした大河ドラマの誘致へ向けて気勢を上げていたようです。
いやだから、義仲だと中途半端なところで終わっちゃうよ?いいの?
munemori-taiga-project.hatenadiary.jp
ちなみにここ数年の勝敗を見てみると、2015年が津幡町(平家方)勝利、2014年は小矢部市(源氏方)勝利、2013年が津幡町勝利…だそうです。
全対戦記録は小矢部市が5勝、津幡町が6勝と、ここまで平家方が若干リード。
っていうか意外と歴史浅いんですね。
続いてはこちらのニュース
日本の歴史を変えた源平の名刀「小烏丸」「薄緑」とは?
ここ数年、刀剣を擬人化した某ゲームにより、若い女性の間でも刀剣が知られるようになってきました。それまでマニアックなおじさま達しかいなかった刀剣の展示会に、なぜか女性が殺到!?みたいな事件も結構おきてるとか。
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そんな刀剣ですが、当然源平時代に活躍したものもあるわけで…
平家に伝わる「小烏丸」は、記事によれば平家の滅亡と共に所在不明となっていたものが、なぜか江戸時代にひょっこり出てきて、明治天皇に献上されたとなっています。
ちなみに、歴代所有者の中にある伊勢家といえば、伊勢平氏の流れをくむ一族ですが、後に伊勢宗瑞、つまり北条早雲を輩出しています。
また、宗氏も、ちょっと怪しいですが平氏流ということになっています。一応、平氏の流れを汲む一族に渡っているわけですね。
江戸時代に、平氏の流れをくむ大名家って実はほとんど残っておらず、宗氏が格式としても石高としても一番上(10万石)なんですよね。
あの織田氏でさえ、せいぜいで2万石ですからね。戦国時代を経たことで、いかに平氏流の大名たちが力を失っていったかということがわかります。
これについては長くなりそうなんで、別記事に書いてみたいと思います。
続いてのニュースはこちら
新緑に包まれそうめん流し(愛媛県)
愛媛県の八幡浜市にも平家谷という地名があるんですね。
先日ご紹介した広島県にあるバラ園のニュースでも、平家谷という地名が出ていたので、日本全国には「平家谷」がたくさんあるようです。
これも今度また別記事にしようっと。
それにしても、この時期のそうめん流しは珍しいですね。夏はうんざりするほど食べるそうめんですが、まだ初夏のこの時期食べるのは何か新鮮です。
このそうめん流し、地元の老人クラブが運営し、およそ半世紀の伝統を誇るようです。
いいなぁ、そうめん食べたい。
なんというかゴールデンウィークなこともあって、楽し気な話題が多かったです。来週は一体どんな平家関連ニュースが出てくるのでしょうか。
それでは来週までさようなら!
宗盛醒睡記 第九話「熊野へ」掲載しました&解説
はい、大難産の末、ようやくアップできました。
編集後記
およそ3週間も間が空いてしまいました。
ちょっと仕事が立て込んだのと、今回の話は次話以降への繋ぎ、というか布石になるお話なのであまり、ドラマが動かないんですよね。
ところで、平治の乱の最後の引き金を引いた形になる「清盛の熊野参詣」ですが、当時の熊野参詣って調べるほど過酷・・・。
山道、言葉遣いの制限、精進潔斎、食事も制限・・・しかも旧暦12月ということは新暦に直せば1月。寒すぎて死にますよ。
熊野については、こちらのサイトが大変詳しいです。
これだけ過酷なのと、当時、宗盛の平治の乱当時の動きについての記録が特にないので、熊野に当時数えで十三歳の宗盛を連れていくかどうかで迷いました。
しかし同い年の頼朝クンが、平治の乱後に雪道を馬に乗って東へ東へ逃げているので、じゃあ行ってもらおうかな!とばかりに無理やり熊野に連れていくことにしました。
辛いだろうなぁ・・・。
さ~て、次回の宗盛醒睡記は?
宗盛です。今回全然話進んでない。こんな寒空の下熊野参詣なんて行きたくないよ。どっかで引き返したいなぁ・・・。
さて、次回の宗盛醒睡記は
・まさかの参詣中止
・どうやって帰ろうかな?
・帰るのよそうかな?
の三本です。
次回もまたみてくださいねー ジャン ケン ポン! ✊
今週の平家ニュース(4/17~4/23)
はい、平家ニュースは第3回を迎えました。
最近忙しくなってしまい、なかなか宗盛醒睡記も進んでいませんが、それでも平家ニュースをご紹介します。
前回ご紹介したニュースは以下の通り
・「那須与一堂」継承目指せー市民による座談会開催
・源氏と平氏を操った後白河法皇、熊野詣と源平合戦の意外な関係は?
・遙かなる時空の中で・ファン感謝祭 豪華声優陣が15周年を振り返る
今回ご紹介するニュースは・・・すんませんこれだけっすわ。
求む!「あやめ御前」平安時代の姫体験いかが(伊豆の国市)
しかも唯一の平家関連ニュースが「源氏あやめ祭」に関するものというネタの貧弱さw
静岡県伊豆の国市で7月に開催予定の「第81回 源氏あやめ祭」で「あやめ御前」を演じる女性を募集しているということです。
このあやめ御前、というのはあの源三位頼政の妻で、伊豆の国市にゆかりのある人だそうです。
宮中一の美女、と謳われていましたが、頼政が以仁王の乱で討ち死にしてからは、地元に戻って尼になったといわれています。
しかし宮中一の美女ってどれだけいるんでしょうか?
確か常盤御前も宮中一(1,000人の美少女の中から100人選んでその中からさらに選ばれた一人でしたっけ?)、建春門院も比類なき美女とか言われてたし…
なんかボジョレヌーヴォーの毎年のコメントのようで、もはや女性に対する枕詞のようになっていますね。とにかく褒めとけ褒めとけ!みたいなw
そんな「宮中一の美女」あやめ御前の格好をして、祭りにでませんか?と伊豆の国市さんが募集しているわけですが、ハードル上がりますなぁ。
我こそは!という人は応募してみては。
募集しているサイトはこちら(伊豆の国市の観光協会にリンクしています)
以上、今週の平家ニュースでした。来週はもっとたくさんネタがあるといいな!
宗盛実は生きていたとかw